「暑い国でサウナ?」という当然の疑問
チェンマイの日中は、暑季なら35度を超える。そんな街で、なぜわざわざ90度の部屋に入るのか。まっとうな疑問だと思う。
答えの半分は、外気の35度とサウナの90度は、身体にとってまったく別の体験だからだ。35度の外気は不快ではあっても、身体はいつもの調整の範囲でやり過ごしてしまう。90度のサウナは違う。皮膚を一気に温め、深部体温をゆっくり押し上げ、汗が噴き出し、心拍が上がる。だらだらと暑いのではなく、身体に明確な負荷と回復のサイクルを与える行為になる。
湿度の話も付け加えたい。チェンマイの暑さは湿気を含んだ、まとわりつく暑さだ。一方、サウナ室の熱は乾いた熱で、汗がきちんと蒸発していく。同じ「暑い」でも、身体の受け取り方はまるで違う。外が暑いからサウナが不要になる、という理屈は、少なくとも身体の側から見れば成り立たない。
そしてもう半分の答えは、サウナ体験の本体は「熱」ではなく「温度差」だという点にある。ここが、今日いちばん書きたいことだ。
温冷交代浴で、身体に何が起きているのか
サウナ、冷水、休憩。この温冷交代浴で身体に起きることは、寒い国々で長く実践されてきたこともあり、生理学の一般的な知見としてある程度の説明がついている。
高温にさらされると、皮膚の血管は拡張し、身体は熱を外へ逃がそうとする。心拍数は上がり、じっと座っているのに軽い運動に近い状態になるとされる。そこから冷水に入ると、今度は血管が収縮し、交感神経が一気に優位になる。そして水から上がって休むと、身体は反動のように、副交感神経が優位のリラックス状態へと切り替わっていく。いわゆる「整う」という感覚は、この自律神経の大きな振り子運動として説明されることが多い。
大事なのは、この振り子が「熱いこと」でも「冷たいこと」でもなく、「差」で駆動しているということだ。血管の拡張と収縮。交感神経と副交感神経の切り替え。振り幅が大きいほど、振り子は深いところまで戻ってくる。
そして温度差そのものは、外気温が何度の国だろうと、設計次第で同じだけつくれる。90度のサウナと、しっかり冷えたアイスバス。この2点間の落差は、フィンランドでもチェンマイでも変わらない。「整う」は緯度を選ばない、というのが僕の結論だ。
念のため書いておくと、これは医療行為ではないし、誰にでも同じ体感を約束するものでもない。体調の優れない日には入らない。水分をとる。無理に長く座らない。気持ちよさの手前にある当たり前を守ってこそ、この振り子は深く、気持ちよく振れる。
熱帯では、「冷」こそが贅沢である
ここで話が一度、反転する。
サウナの母国のような寒い土地では、貴重なのは「熱」だった。凍える冬に薪を焚き、90度の小屋をつくることが贅沢で、冷水は外にいくらでもあった。湖に穴を開ければよかったのだ。
熱帯はその真逆だ。熱はそこらじゅうに転がっている。希少なのは「冷」のほうだ。チェンマイで水風呂をひと桁台の水温まで落とし、それを一日じゅう保つには、設備と電力と、管理し続ける意思がいる。つまり熱帯においては、キンキンに冷えたアイスバスこそが、いちばん手のかかる贅沢な資源になる。
実際、熱帯の水は放っておけばすぐに「ぬるま湯」へ戻ろうとする。冷たさは、この土地では自然には存在しない。つくり、守り続けるものだ。だからこそ、汗をかき切った身体を冷水に沈める一瞬には、寒冷地のそれとは違う種類の価値が宿ると思っている。
サウナ文化を熱帯に持ち込むというのは、単なる輸入ではない。贅沢の定義が反転する場所に、あの振り子を持ち込むということだ。僕はそこに、この事業のいちばん面白い部分があると思っている。
乾季のチェンマイ、外気浴のはなし
そしてチェンマイには、もうひとつ隠れた強みがある。乾季だ。
11月から2月ごろのチェンマイは湿度が下がり、朝晩は20度前後まで気温が落ちる。山あいの古都らしい、乾いた気持ちのいい空気になる。日本でいえば、秋の高原の空気に近い。
サウナとアイスバスを往復したあと、この空気の中で椅子に身体を預ける。火照った皮膚の上を、乾いた風が通り抜けていく。外気浴という工程にとって、これはかなり理想に近い条件だと思う。湿気の重い低地の都市では成立しにくい時間が、この街では夜ごと成立する。チェンマイでサウナをやることの、静かだが決定的な理由だ。
利休では、こう設計した
だから利休の設計は、この振り子を中心に組んである。サウナは一室、4〜6名。アイスバスは2つ置き、温度に段差をつけて、その日の身体で選べるようにする。4〜6名という定員は、詰め込むための数字ではない。一人ひとりの振り子を、隣の誰かが邪魔しないための数字だ。
そして、サウナのまわりに酒は置かないと決めた。温冷交代浴は身体へ意図的に負荷をかける行為だから、アルコールを挟まず、水を飲みながら、ただ身体と向き合うための時間として設計している。整うことに専念する時間。人と交わるのは、そのあとの「利」の時間でいい。
気温35度の街の、いちばん冷たい場所。矛盾しているように見えて、これはたぶん、いちばん筋の通った贅沢だ。